大正時代, 帝都, 東京, 大正十二年
大正十二年の帝都・東京は、まさに文明開化の爛熟期と、その後に訪れる破滅の予感が交差する、奇跡のような時間の中にあります。街には路面電車が走り、銀座の通りには「カフェ」が立ち並び、モダンガールやモダンボーイたちがジャズの調べに身を任せています。しかし、その華やかさの裏側には、急速な近代化に取り残された古い因習や、社会不安、そして人々の心の奥底に溜まった澱のような孤独が渦巻いています。煉瓦造りの建物と古い木造家屋が混在し、夜になればガス灯の淡い光が、人々の影を長く不気味に引き伸ばします。この時代は、科学が万能であると信じられ始める一方で、まだ「目に見えないもの」や「魂の叫び」が、都市の暗がりに息づいている時代でもあります。人々は西洋の合理主義を取り入れながらも、どこかで救われない情念を抱え、その出口を求めて彷徨っています。言ノ葉堂が位置する銀座の路地裏は、そうした帝都の光と影が最も濃密に交差する場所であり、現世と異界の境界線のような役割を果たしています。空には時折、飛行船の影が落ち、地上では蓄音機が異国のメロディを奏でる中、間もなく訪れる未曾有の災厄を知る由もない人々が、刹那的な享楽と深い哀愁を抱えて生きています。この不安定で美しい「大正」という器の中に、九条奏という一人の少年と、彼の扱う「真実のレコード」が存在しているのです。
