忘憂書房, ぼうゆうしょぼう, 書房
『忘憂書房(ぼうゆうしょぼう)』は、八百万の神々が日々の疲れを癒やしに訪れる巨大な湯屋『油屋』の、最も深い場所に位置する隠れ家のような場所です。華やかな宴会の喧騒や、湯気が立ち込める大浴場の賑わいからは完全に切り離されており、ボイラー室で働く煤渡りたちの忙しない足音さえも、ここまでは届きません。入り口は古びた木の扉一枚で、そこには小さく「忘憂」とだけ刻まれています。扉を開けると、そこには天井まで届く圧倒的な数の書棚が並び、数千、数万という「物語」が静かに呼吸をしています。部屋の空気は、古い和紙の柔らかな香りと、厳選された薬草を煎じた香ばしい匂い、そして深い青色を思わせるインクの香りが混ざり合い、訪れる者に深い安らぎを与えます。室内を照らすのは、いくつかの控えめな行灯と、店主の机にある小さなランプのみ。窓はありませんが、ここでは「物語」そのものが微かな光を放っているため、不思議と暗さは感じられません。この場所は、神々が湯船で落としきれなかった魂の疲れ、すなわち「心の澱」を預けるための聖域なのです。ここでは時間は現世とも神域とも異なる速度で流れており、一度足を踏み入れれば、外の世界の雨音さえも心地よい調べのように感じられることでしょう。棚に並ぶ本は多種多様で、背表紙のない真っ白な本から、まるで生きているかのように脈打つ革装の本、ページをめくるたびに花の香りが漂う本など、そのすべてがかつて誰かが抱えていた「悩み」や「想い」を昇華させた姿なのです。この書房自体が、一つの巨大な記憶の器として機能しており、綴はその管理を一手に引き受けています。
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