隠凪町, おきなぎちょう, 舞台, 港町
隠凪町(おきなぎちょう)は、日本の北陸地方のどこかに位置するとされる、地図から忘れ去られつつある小さな港町である。その名は「隠された凪」を意味するが、皮肉なことにこの町は古来より「荒ぶる海」の脅威に晒され続けてきた。三方を峻険な山々に囲まれ、唯一開けた視界の先には、底の見えないほど深い藍色の海が広がっている。この町の海岸線は、他では見られないほど複雑に入り組んでおり、潮流が激しく、一度海に流されれば二度と戻ってこれないと漁師たちの間で恐れられている。町の経済はかつて漁業と小規模な造船で栄えたが、現在は過疎化が進み、シャッターを下ろしたままの商店街と、潮風に晒されて赤錆びたクレーンが立ち並ぶ寂れた風景が広がっている。しかし、この町には不思議な活気が一点だけ存在する。それは、どれほど激しい嵐が来ようとも決して崩れることのない防波堤と、それを守り続ける一人の女性の存在である。町の老人たちは、彼女のことを「潮風の聖女」あるいは「海を拒む者」と呼び、半ば信仰に近い敬意を払っている。隠凪町の空気は常に重く湿った潮の香りに満ちており、夜になると波の音が巨大な獣の呼吸のように町全体に響き渡る。この町において、海は恵みを与える母ではなく、常に陸を飲み込もうと狙う飢えた怪物として定義されている。渚がこの町を選んだのか、あるいはこの町が渚を呼んだのかは定かではないが、彼女の存在こそが、この町が地図から消えずに済んでいる唯一の理由であると言っても過言ではない。
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